ハーグからライデン訪問

さて、ハーグ駐在の知人には、到着の夕方ハーグ中央駅に出迎えて頂きその翌日から、ほとんど丸2日間、車で観光案内を頂きました。到着翌日の土曜日は、ハーグの中心部で大きなイベントがあり混雑が予測されたので、先に近くの大学都市としてもな有名なライデンに向かいました。

オランダと言えばすぐに連想される風車ですが、絵葉書写真で写っているのを見る程度で終わるその内部を公開している巨大な風車がライデンにはありました。

その内部見学をしてみると、それはそののどかな外観からは想像出来ないほどの精緻で力強い構造のメカニズムになっている事にあらためて驚きを感じました。それは、おそらく当時のハイテクメカニズムの一つだったと思われ、しかも考えてみれば、まさに現代社会の大きな課題の一つである資源再生エネルギーを活用し二酸化炭素も出さないクリーンエネルギーの生産設備だったのです。ある意味、現代の課題を先取りしたエネルギー施設であった事に感慨を覚えました。

続いて、伝統あるライデン大学とその近くのシーボルト記念館に向かいました。ライデン大学は何と1575年創立と言うオランダ最古、と言うより、ヨーロッパでも最も古い大学の一つです。1575年と言えば、日本では関ヶ原の合戦(1600年)以前です。そして、この合戦の結果成立した徳川家の支配による江戸時代を通して、その鎖国時代も含め、我が国が唯一交流を続けた西欧の国はこのオランダであり、その意味でこの国は実に我が日本と長く深い交流があった国である事を思い出して改めて深い感慨を覚えました。そう言えば、江戸時代の洋学とはすなわち「蘭学」であり、我が国の医学史の中の画期的業績であった杉田玄白の『解体新書』は、オランダ語の原本を当時の蘭医たちが苦心惨憺して翻訳したものでした。これが我が国への最初の西洋医学の導入だった事も思い出しました。

これも後で気がついた事ですが、オランダのハーグのホテルに着いて、最初に訪問したのが、ライデンであったのは、縁深いものを感じられます。と言うのも、この地のライデン大学はヨーロッパで長い伝統を持つだけではなく、ヨーロッパで最初に日本語学科が出来た大学であり、さらに日蘭の交流に関する大きな足跡を残したシーボルトがオランダに帰国後拠点とした地でもありました。そしてライデン大学の直ぐ近くにこのシーボルトに関する数多くの資料を保存公開しているシーボルト記念館もあります。もちろん、この記念館にも訪問してみましたが、たまたま受付と案内をしていた若いオランダ女性が極めて流暢な日本語を使うので、聞いてみますと、何と上記のライデン大学日本語学科出身のエリートさんでした。そして、展示されている品々をじっくり見て回りましが、大変興味深いものでした。

その後、いかにもオランダらしい風景の運河沿いを散策し、運河面に突き出したカフェで行き交う船を眺めながらのランチを楽しみました。

さらには、知人の勤めるヨーロッパ宇宙機関(ESA)の欧州宇宙技術研究センター (ESTEC) を見学し、これもまた極めて興味深いものでした。

(ESAの展示館 ESA Exhibition Hall)
(ソユーズ帰還カプセル Soyuz return capsule)
(計画中の月探査車 Lunar rover in planning)
(アリアンロケット Ariane Rocket)
(アポロの月探査船 Apollo Lunar Exploration Vessel)

さらにESAから近い海沿いのリゾート地のレストランでの夕食で、この日の予定を終えました。

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科卒業。同大大学院経済学研究科修士課程卒業、博士課程在学中。