青い鳥の住む国は?

前稿では、今回のツアーを『修行』として、我が日本🇯🇵での暮らしについて、ツアーの経験から得た新しい視点から考え直してみました。

では、肝心のニュージーランド🇳🇿の印象は、と言うと、一言で言って「自らのアイデンティティを探している国」という気がします。象徴的なのは、英語学校の放課後に訪れたオークランド美術館でしょうか。

期待して20NZドルの入館料を払って展示を見始めたのですが、展示内容の貧弱さに、すぐ落胆することになりました。展示の構成は大きく分けて3部と思われ、最初のコーナーは、先住民族のマオリ族の文化に関するものでした。国の成り立ちとして、先住民族とその文化に一定のリスペクトを払うことに特に異議を唱えるつもりはありませんが、先住民族の酋長のプロフィールや写真を並べられても、一外国人にとっては、何だかなぁ、と言う感じです。しかし、国の成り立ちとして、遡ってもそこにしか行き着かないのですから、しょうがないと言えばしょうがないのでしょう。そして、マオリ族の民芸品的な展示が続きます。これもまた民俗学的には価値はあるのでしょうが、一外国人としては、やはり人類共通の普遍的価値と言う視点からの展示を求めてしまうので、すれ違います。次のコーナーでは、突然、ちょうど移民が始まった頃と思われる時期のイギリス🇬🇧人画家の作品が登場します。しかしながら、当然のことながら、西欧美術史上著名な作家や作品は無く、ほとんど聞いたことも無いマイナーな画家の作品が並んでいます。そして次の第3のコーナーでは、突然、現代作家による前衛的な芸術作品が並びます。元々、私は、その手の、身体に絵の具を塗り付けてキャンバスに突進するとか、機械仕掛けの装置の偶然性を面白がるとか言う、いわゆるアバンギャルド的な活動を全く評価する気持ちを持ち合わせていません。芸術とも思いません。しかし、何か大きな賞のようなものを用意して、現代的芸術を何とか形にしたいと努力しているようで、そのノミネート作品の展示もありました。でも、私としてはこれも全く評価出来ないので、結局、どのコーナーにも感心出来ない結果となってしまいました。ただ考えてみれば、この国の成り立ちとして、この事情はどうしようもないもので、無いものねだりをしてもしょうがないのだろうと思います。

翻って考える時、長いそして深い連綿とした歴史と、その時代時代の極めて多様な文化を持つ我が日本🇯🇵は世界的にも特別な豊かな文化資産を持つ国であることを改めて感じます。

一方の現代事情についてはどうでしょう。ニュージーランドに来て暫くして、初めて気がついたのですが、車は全て輸入車です。それも考えてみれば当然ですが、ニュージーランドには、国内に自動車メーカーは無いのです。それは、日本のように国内にトヨタ、日産などの世界的メーカーを始めとして、大小いくつものメーカーがしのぎを削っている国からは、ちょっと想像が難しい状況かもしれません。
しかもそのニュージーランドの輸入車の大半を占めるのが日本車でした。メーカーで言うと今注目の日産、および、ホンダ、三菱、マツダがよく健闘しているようで、トヨタを含め、5社ほぼ横並びで9割を占めるでしょう。あとは、ドイツ🇩🇪車がVW、BMW、アウディなどチラホラで、アメ車や韓国車などは全く目にしません。
日本の中古車は、車検が厳しいせいか、よく整備されていて故障が少ないということで評判が良いようです。(そう言えば、最新車種は見かけず、年式のやや古い車種がほとんどですね)

もう一つ、オークランドの都心部で目立ったのは日本食レストランの多さです。都心の繁華街でも至る所に和食レストランの看板を目にします。京都の有名な甘味処の支店(?)らしき店舗もあり、多くの客で賑わっていました。

ただ日本食も何回か食べてみましたが、とても合格点には達しません。

  

意外に中国料理店が少なくて探すのに難儀します。あのたくましい中国商人はどうしたんでしょう?やっと見つけた中国料理店、料理は山盛り、とても食べ切れないボリューム、中華料理としては安定した美味しさで、値段も安い。

 

 

なんで、こんな中華料理店がまがい物みたいな和食レストランに押されているのか、ちょっとナゾです。日本食のヘルシーイメージのせいでしょうか・・。

ところで、あるレストランで、上下をひっくり返して、ニュージーランドが地図の上部に描かれた地図が飾ってありました。その下には、『ニュージーランドはもはや<下の隅っこ>じゃない』と書かれてあり、思わずクスリと笑いました。確かに、普通の世界地図では、ニュージーランドは地図の最下部の隅に出てきます。でも、我々はそんな世界の隅っこの国じゃない!ほら、地図の上下をひっくり返したら、我々は一番上にあるじゃないか、という訳です。その意気やよし!

しかし、調べてみると、ニュージーランドの総人口480万人は、我が兵庫県の人口560万人とほぼ同規模ないし少し下回ります。しかも、兵庫県は、日本の総人口1億3000万人の経済力を背後に控え、その一部としての人口であるのに対し、ニュージーランドは、この人口で、独立した一国なのです。また、オークランドの人口160万人は、神戸市の人口154万人とほぼ同規模です。オークランドの都心部を歩いていて、神戸と都市としての規模感が似ている感じがしたのも当然でしょう。しかし、神戸は、やはり日本全体の経済力と関西経済圏を背後に抱える分、経済的厚みが感じられる気がします。

総括して思うのは、我々は、国際社会の中での日本の歴史と現代について、その豊かさと充実度をよく自覚して日々の生活を過ごすべきではないかということです。よく『国民の幸福度』ランキングなどが話題になり、北欧の小国などが意外な上位に入ったりします。しかし、清潔で安全で、豊かさと優しい心遣いに溢れる日本も、必ず上位十指に入ることは間違いないでしょう。いや、異国の地の厳しい『修行』の直後の今、日本社会の豊かさと繊細さは、堂々のトップに位置してもおかしくない、とすら感じられます。
日本は、戦後の高度経済成長からバブルの過熱経済に突っ込み、その後のバブル崩壊で冷や水を浴びせられ、一時の自信はぺしゃんこになりました。その日本経済の『高転び』のトラウマから、経済や社会の現状について過度に批判的になり、萎縮すらしている感があります。しかしながら、バブル崩壊の後、自虐的に『失われた10年』などと命名された時代から現在に至るまで、日本は決して、一方的に後退し、停滞していたわけではなかったとの思いが強くします。むしろ、バブル期に思い上がった鼻をへし折られてから、日本は、控えめに粛々と、でも着実にその社会と生活を整え、厚みを増す努力を続けてきたのではないでしょうか。この期間、日本の社会は言わば『熟成』したのだ、と私は感じます。
メーテルリンクの寓意を込めたチルチルとミチルの童話にあるように、
<幸せの青い鳥は他所ではなく、ほかならぬ自分の家に居たのではないか>
これが今回のツアーから私が感じた結論と言えるでしょうか。

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科卒業。同大大学院経済学研究科修士課程卒業、博士課程在学中。