イタリア再訪プランと記憶の《回収》

 先週の投稿で3月中旬に、ベネルックス三国とオランダのチューリップ公園(キューケンホフ)を訪れるツアーの予約を済ました、と書きました。

ところが有馬の温泉小旅行の際、ご一緒した知人によると、3年前の2023年の3月下旬にオランダのチューリップ公園(キューケンホフ)に行ったところ、時期がやや早過ぎ、肝心のチューリップが未だ咲き切っておらず、ちょっと寂しい状況だった、とその時の写真を見せてもらいました。

その写真を見ると、なるほど、いかにも完全な開花の前の寂しい状況です。折角長時間の飛行と費用をかけて、肝心の目玉の観光スポットがタイミングを外していては、いかにももったいない感じです。そこで、急遽ツアー会社のページを探し、幸い、ほぼ1か月後のプランを見つけました。ちょうどこの1か月後はまさに日本のゴールデンウィークにあたることになり、ツアー料金はかなり高くなりますが、時期外れの目玉スポットを訪れても意味が無いのは明らかなので、やむを得ないと思い、1か月後の4月末への変更を決断しました。

しかし、4月末となると、ほぼ3か月以上先になり、少々物足りない思いになり、正月の京都への初詣の後、イタリアの都市巡りのアイデアもあった事を思い出し、代わりに3月中のイタリアツアーの検討を始めました。これもネットで探し始めて夢中になり、ミラノからスタートし、ベネチアフィレンツェポンペイローマとイタリアをほぼ縦断するツアーを見つけ、一気に予約してしまいました。

イタリアは、およそ17年前の2009年の9月モナコでの国際学会に参加するためローマを経由した際ローマフィレンツェナポリを観光した事があります。しかし開業医としての現役時代の多忙な生活の中での慌ただしい日程だっただけに、ほとんど駆け足で通過しただけのような観光でした。この時はローマに3泊しローマ市内とバチカン市国の観光、フィレンツェとナポリの日帰りだけで精一杯でした。今回決めたツアーではこのローマ、フィレンツェ、ナポリの他、初めてのミラノベネチアピサポンペイなども訪れる形で、4月のベネルックス3国ツアーと同様、初訪問と再訪とがバランス良く入っています。これからのツアーでの初訪問地の下調べは今後の課題として、この際、約17年前のツアーの記憶を当時それなりに撮っていた写真をもとに思い返してみたいと思います。

《以下は、これからの春のヨーロッパツアーの話ではなく、過去のイタリア・モナコツアーの記憶の『回収』のお話です》

2009年秋のツアーは、ローマを経由して、モナコでの欧州インプラント学会(EAO)に参加することが主目的でした。途中経由するイタリア観光はあくまでおまけであり、しかもモナコというヨーロッパのミニマム国家に出かけるツアーだったので、もちろん個人ツアーの形でした。またローマで宿泊したホテルがネット上の写真とは異なり、全く期待外れの民宿に毛が生えたような宿だった記憶があるので、おそらく当時としてはかなりチャレンジングなネットでの個人手配だったと思います。ローマまでの往復はイタリアのアリタリア航空だったようです。

3泊したローマの宿は、ネットの写真ではリッチな雰囲気のリゾートホテルかに見えたのですが、実際は本当に必要最小限の間借りのような小さな施設でがっかりした記憶があります。まあ個人手配旅行あるあるですが(笑)

ただホテルのロケーションは良く、ローマの観光スポットも近く、良い足場ではあったと思います。この学会参加ツアーは、友人の若手歯科医と一緒の形だったのですが、その友人は一日遅れでローマに到着し合流する予定だったので、1日目のローマ観光は、私一人の単独行でした。

到着後、真っ先に出かけたのが巨大アリーナの『コロッセオ』でした。その巨大さは想像以上で、圧倒されました。

(フラウィウス円形闘技場にある記念碑の銘板)

ただ、有名観光地あるあるで、コロッセオの前には観光客を捕まえては、古代ローマ兵士のカブトなどを着させて写真を撮って、小銭を巻き上げるグループがたむろしており、あっという間に、私も有無を言わさずカブトを被せられ、少額のコインを払わせられるはめに。完全なお上りさんになってしまいました。

この後、すぐ側にある古代ローマの政治の中心地『フォロ・ロマーノ』へ。最初に目にしたのは、ティトゥスの凱旋門。この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされ、その中にはパリのエトワール凱旋門などがあると言う事でした。やはりヨーロッパの文化は様々な形で繋がっていることを感じました。

(ローマ ティトゥスの凱旋門)
(2022年に訪れたパリ凱旋門)

この後も広い敷地内を埋め尽くす古代ローマ政治の中心地区の施設遺跡を見て回りました。

この後、ローマの7つの丘の一つで最も高い丘であるカンピドーリオの丘の頂上にあるカンピドーリオ広場に出ました。この広場は、ミケランジェロが設計した有名な広場で幾何学模様のデザインの敷石と広場に聳え立つ三方の建物との調和が趣深いということです。また、高台にあり、市庁舎の裏手のテラスから、ローマ帝国時代の政治・経済の中核となっていたフォロ・ロマーノを一望できる位置にあります。

(カンピドーリオ広場)
(同広場のマルクス・アウレリウス騎馬像)

ヴェネツィア広場に向かって下る階段の手前には、イタリア王国の初代国王であったヴィットリオ・エマヌエーレ2世の記念堂がありました。

(ビットリオ・エマニュエーレ記念堂)

この後、私の記憶では、ローマ中心部の観光スポットを巡回するバスに乗り、世界最小の面積のバチカン市国を目指しました。

そして、テヴェレ川右岸に位置するサンタンジェロ城(聖天使城)とその正面にかかるサンタンジェロ橋を眺めてバチカン市国に入りました。

バチカン市国の面積は約0.44km²で、世界で最も小さい独立国であり、東京ディズニーランド(約0.51km²)よりも小さく、日本の皇居(約1.15km²)の半分以下という極小の面積との事。しかし、その中心に聳え立つカトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂を望むサン・ピエトロ広場の前に立つと、その威容に圧倒されます。

さらに、巨大なサン・ピエトロ大聖堂の内部に入ると、暗い堂内に光が差し込むその荘厳な雰囲気も圧巻でした。

この後、直ぐ近くの有名なトレビの泉も訪れました。

また映画『ローマの休日』でヘップバーン扮する王女がアイスリームを食べていた有名なスペイン広場も訪れたようです。

(鈴なりの観光客で溢れたスペイン広場の階段)
(スペイン広場にあるインマクラダの柱)

さらに、ポポロ広場まで足を伸ばしたようです。

(同広場のサンタ・マリア・イン・モンテサント教会)

これ以降は、もはや明確な記憶が無いのですが、ローマのターミナルのテルミニ駅近くのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂共和国広場「ナヤディの泉」、サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ聖堂(建築家フランチェスコ・ボッロミーニの設計によるバロック建築の傑作)、サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会サン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ教会、等の歴史的な教会群も訪れたようです。

(サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)
(同大聖堂)
(共和国広場とナヤディの泉)
(共和国広場近くのドガリの戦死者慰霊碑)
(サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ聖堂)
(サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会)
(サン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ教会)
 
この日は、友人との合流前の一人旅だったせいか、きめ細かくローマの数々の歴史的遺跡を歩き回り、ローマでの初日を終えたようです。
 
ここまでまとめて来て、はて?自分は何のために過去の旅行写真を整理し、一部記憶が薄れかけている旅の記録をまとめているのだろう?と考えました。あらためて考えての答えは、「現役時代、慌ただしく駆け抜けた時間の中での貴重な旅の経験を今落ち着いた時間が持てる日々の中で思い出し、再び追体験し噛み締めているのかな」というものでした。つまり、過去の貴重な経験をあらためて今、《回収》しようとしているのだと思います。そして、人生の総まとめの時期の中で、そういう《回収》作業は必要で大切なことではないかと思います。現役時代にも、このイタリアツアーの記録を辛うじて短い一文にまとめてはいますが、その他の多数の写真とそれから思い出される貴重な経験を今まとめることは、誰かのためではなく、自分の人生における大事な作業ではないかと感じています。

 

イタリア小紀行

さて、既にかなり長くなってしまったので、続きの《回収》作業は、稿を改めたいと思います。

 

 

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科を卒業し会計専門修士。さらに同大大学院経済学研究科修士課程を卒業。その修士論文で国際公共経済学会の優秀論文賞を受賞。現在、博士課程在学中。