さて、前稿に続き、約17年前の2009年秋のイタリア経由モナコツアーの記憶の《回収》をしていきたいと思います。
前稿でも書いたように、超多忙だった現役開業医時代のこの旅の記憶はシーザーの言葉『来た、見た、勝った』ではありませんが、ただ行った、見た、だけで、下調べも不十分で、帰国後も、日々の生活に忙殺され、ほとんど何も整理できず、放置状態でした。しかし、あらためて考えれば、それも当然でした。2000年初めから取り組み始めたインプラント治療はこの頃私の診療生活のピークとなり、その当時のメモを見ると、2008年には、通常の診療に加え、年間82ケース、100本を上回り、目が回るような多忙さの日々でした。しかも、その合間をぬって、この2009年3月には、ドイツのケルンで開かれた国際デンタルショー(IDS)、7月にはソウルでの臨床セミナー、そして、9月にこのヨーロッパインプラント学会、と海外ツアーを重ねていました。
今回、イタリア再訪計画をきっかけに、当時撮っていた多数の写真の整理を始め、そのツアーの記憶を思い出しながら、まとめる《回収》作業を始めました。
前稿でも書いたように、このツアーは、モナコで開催された国際学会(欧州インプラント学会)への参加が主目的であり、それに合わせて、経過地のローマで3泊し、観光するプランでした。ローマ到着後1泊した翌日は、同じ学会に参加する予定の友人の若手歯科医が1日遅れて合流する予定だったので、1人でローマの観光スポットを精力的に歩きました。振り返ってその時の写真を整理してみると、自分でも驚く位動き回ったようです。しかし、逆にその翌日、友人と合流してからは、一緒に日帰りツアーに出かけたフィレンツェの中心部は歩いたようですが、意外に写真も撮っておらず、さらにその翌日、同じような日帰りツアーをしたはずのナポリの写真は1枚もありません。
したがって、この時のイタリアツアーは、実質ローマ中心部を巡り、フィレンツェの都心の一部にちょっと足を踏み入れただけ、と言うに近いものだった事に、あらためて驚きました。
フィレンツェはトスカーナ州の州都で、イタリアを代表する観光都市の一つであり、街全体が美術館のような雰囲気で、ルネサンス芸術と歴史が息づく場所という事です。フィレンツェの街全体が世界遺産に登録されており、「屋根のない美術館」とも呼ばれているようです。
まず定番のフィレンツェのシンボルであるドゥオーモ大聖堂(正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)を訪れました。特徴的な巨大な赤いドーム(クーポラ)と緻密なファサード(建物の正面部分)が有名という事です。この大聖堂がある地区は、世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の一部であり、サン・ジョヴァンニ洗礼堂やジョットの鐘楼とともにドゥオーモ広場を形成しています。
次にシニョーリア広場を訪れました。この広場に面したロッジア・ディ・ランツィと呼ばれる開廊には、多くの有名な彫刻の複製が展示されており、屋外美術館のような役割を果たしているようです。またこの広場は、隣接するヴェッキオ宮殿(フィレンツェ市庁舎)とともに、フィレンツェの政治的中心地としての歴史を持っているとの事です。

この大理石の彫刻は、紀元前8世紀にローマ人が隣接するサビニ人から女性を略奪したという古代ローマの伝説的な出来事を描いているようです。1579年から1583年にかけて制作され、単一の大きな大理石の塊から彫り出されました。3人の人物(男性2人と女性1人)が絡み合う複雑な構成が特徴で、鑑賞者はどの角度から見ても楽しめるようになっています。この作品は、ルネサンス後期のマニエリスム様式の傑作と見なされているそうです。

この像は、英雄ペルセウスがメドゥーサの首を掲げている様子を描いています。
広場には、その他、様々な彫像が展示されており、まさに屋根の無い美術館でした。


さて、このフィレンツェを代表するウフィツィ美術館ですが、事前の下調べの不十分さから、この日(確か月曜日)は休館日だったのです。この美術館見学は、かなり楽しみにしていただけに。これはかなり残念な痛恨のミスと思った記憶があります。
で、やむを得ず、すぐ近くのこれもまたフィレンツェの観光名所の一つであるベッキオ橋に行きました。よく知られているように、このアルノ川にかかる橋は、端から端までが天井付きのショッピングアーケードになっており、1345年に再建されたフィレンツェ最古の石造りアーチ橋であり、橋の上に貴金属店や宝石店が立ち並ぶ特徴的な景観で知られ、第二次世界大戦の破壊を免れた貴重な歴史的建造物。夜間のライトアップも美しく、フィレンツェ観光のシンボルとされているようです。『ベッキオ』はイタリア語で「古い」を意味し、橋の両側に2階建ての建物が並び、かつては肉屋が多かったが、現在は宝石店や貴金属店が連なるショッピングスポットになっています。第2次世界大戦中、撤退するドイツ軍によって周辺の橋が次々と破壊される中、唯一難を逃れた奇跡の橋として知られているようです。 橋の上の回廊からはアルノ川の絶景を望むことができ、対岸からの景色も美しく、フィレンツェ歴史地区の観光において、外せない観光名所となっています。
そんな訳で、この時のイタリア観光は、ローマとフィレンツェの一部を駆け足で回った慌ただしいものでしたが、一つ非常に記憶に残っているのは、ローマ滞在の最後に、イタリアの本場の歌曲であるカンツォーネのライブがあるレストランを訪れたことです。(どんな形でその店を探したのか、今は記憶に無いのですが)Thalyaという地元の店にたどり着き、地元のグループ客の中に紛れ込んで、カンツォーネのナマ歌のライブを楽しんだのは、今でも鮮明に覚えている記憶です。
イタリアのポップスであるカンツォーネは、一時期日本でも次々ヒット曲が続いたことがありましたが、それほどは知られていないかもしれません。私が英語学科時代、その朗々とした明るい歌いっぷりが心地よく良く、その時聴いた小さなレコード盤は今も手元にあります。
それは、オペラの三大テノールとして時代を画したパバロッティの朗々たる歌唱と繋がるものだと思います。
もっと軽いポップ調のカンツォーネも一時流行りました。
さて、そんな思い出深い経験をした翌朝、いよいよ本来の目的地であるモナコに向かいました。 しかし、その本題に入るまでに、かなりの分量になってしまいましたので、一旦置いて、次稿にしたいと思います。














