小動物の群れが 巨大怪獣を倒した日(4)

 <『知の自転車』としてのパーソナル=コンピュータ> というコンセプトのもと、Mac が個人向けコンピュータの世界に、全く新しい時代を作り出していった1990年代前半、コンピュータの世界には、もう一つの大きな変革の波が押し寄せていました。コンピュータを(スタンドアローンと呼ばれる)単独の存在としてではなく、相互に連携させ世界的規模での連携を可能にするコンピュータ=ネットワーク、すなわち、インターネットの革命的な技術進化と急速な普及拡大です。
短期間に驚くべき進化と画期的な能力向上を遂げたとはいえ、個々の単体としては、さほど大きくもなく非力な存在だったパソコンが、情報社会の主役に躍り出る決定的な要因は、ネットワークによる連携でした。インターネットの出現、その急速な普及と息つく間もない技術革新がコンピュータの世界全体をその根本から激変させていきました。

      

無機的で殺風景だった初期のPC(MS-DOSと呼ばれたシステム)を、カラフルで楽しく、易しい操作性の GUI (グラフィック=ユーザーズ=インターフェイス)で革命的に一変させた Macintosh は、このネットワーク化への取り組みでも先進的でした。
私にその重要な技術的意味が分かってくるのは後の事になりますが、Mac はその開発の当初から、ネットワークを意識し、ネットワークにつながることを前提にした設計が組み込まれていました。ネット接続により他のマシンと連携を取り合うことが当然のようなシステム設計がなされていたのです。
振り返って、今でもそんなことが現実にあったのだろうか、と信じ難い思いになる経験があります。私が Mac の魅力にはまり始めていた頃、私の従兄弟の一人が、医学部を卒業し、四国のK医科大学に勤務していました。時を同じくして、同じように熱心な Mac ユーザーになっていた彼とは、同門の信者として Mac に関わる様々な情報交換をする仲でした。彼はその医局のチーフのような立場で学内のデータを共有するネットワーク構築を Mac を中心にして構築しようとしていました。ある時、彼から『医局でカルテを共有するシステムを Mac で構築したよ。試してみますか?』という連絡が来て、恐る恐る、瀬戸内海を跨いで、私の神戸の自宅から、香川県の大学のネットワークに入りました(1990年代に、そんなことができた、というのが今振り返って、ちょっと信じられない気持ちになるのですが)。実際、その共有画面で、カルテの内容が見えた時は衝撃でした。なお、この話には後日談があって、私の個人的侵入が他の医局員に察知され、すわハッカーの侵入か!!とちょっとした騒動になり、もちろん、その後は二度とそんな無作法なことはしませんでしたが・・。

その頃から、私はまるで Mac に導かれるかのように、コンピュータのネットワークに関心を移しました。ちょうどその頃、私は兵庫県歯科医師会の情報調査室という委員会で仕事をすることになりました。県全体のメンバーの参加する委員会ですから、広域に散らばるメンバーの間での連絡は少々ハードルがありました。情報調査室という委員会の性格上、各種の業務データをやり取りして、PC処理するというケースもよくありました。当初は、(その頃では、さすがに8インチの巨大フロッピーではなく、3.5インチのミニディスクが普及して扱いやすくはなっていましたが)ディスクを郵送するなどしてやり取りしていたのですが、 Mac 間でのネットワークを利用すれば、データのやり取りを簡単に行えるのではないか、ということに気がつきました。(その時点では、既に、その委員会メンバーの全員を Mac ユーザーに改宗させることに成功しており、委員会はまるで  Mac 同好会の様相を呈していましたが。)
そこで私は、単なるデータのやり取りだけではなく、各種の業務連絡や場合によっては委員会でのテーマについての協議ができる仕組みが作れないか、と考えました。

そして、ある参考書籍の中でFirstClassという電子会議システムに行き着きました。カナダで Mac 用ソフトとして開発されたものでしたが、やはり Mac 用アプリケーションとしての使いやすい特徴が随所に感じられるシステムでした。

  

このシステムでは、組織関係者が各人のIDで、サーバー用のパソコンにアクセスすると、そのユーザーが所属する組織の会議室のみが表示されます。この会議室を開けると、そのメンバーから関係者への連絡メッセージや共有したい情報メッセージがリストで一覧表示されます。これを開いて読んだ上で、必要であれば、自分の考えを入れたメッセージや返信メッセージを入れることで、その組織で課題としている問題についての協議が進められる形です。このメッセージには、文書ファイルや Excel 等で処理したデータファイル、画像ファイル、さらには音声ファイルや動画ファイルさえも添付し、メンバー間で共有することができます。
メンバーの中には、当時ようやく普及が始まったインターネット=メールをグループ間で利用する『メーリング=リスト』でいいんじゃないかという意見もありました。しかし、私は、この FirstClass システムにこだわりました。その理由はメッセージの『履歴機能』でした。普通のインターネット=メールは、特に道具立もいらず、簡単に利用できます。ただ、通常のメールは、出しっ放しで、そのメールを関係者全員に届き、全員が目を通したということが確認できません。その点、 FirstClass の会議室システムでは、各メッセージをいつ、誰が読んだのか、という履歴( History )が分かる、という大きな特徴があったのです。紙媒体とは異なる電子情報を組織運営に使う場合、この機能は必須である、というのが私の考えでした。

( FirstClass の履歴機能)
( FirstClass サーバーに利用した Mac IIci )

ただ、この場合の大きな問題は、この FirstClass システムを運用するベースとなるサーバーの設置が必要である、ということでした。で、結局、このサーバーを私の自宅書斎に私のポケットマネーで設置することになりました。この時の実験運用に協力していただいたメンバーは、私のしつこい勧誘による Mac 教徒の改宗者でありながら、その後、私以上に熱心な信者になっていた方でした。
サーバーの運用実験を開始した時、その先生から最初に届いたメッセージは『こちらはNです。届いていますか?』というような簡単なものでしたが、その直後、電話で『届きましたよ!』と報告する、という奇妙な情況でした。しかし、その時の感激は初めて電話の交信に成功した時のグラハム=ベルも顔負けだったろうと思います。(ベルの電話実験での初の会話は、『ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ』だったとか。)
<当時を思い出すと懐かしいですねぇ、学が丘の難波克明先生!>

このプライベートな運用実験はしばらく続きましたが、当時は、未だインターネットの普及は始まったばかりで、モデムという音声信号とデジタル信号を変換する機器を介して電話を掛けて接続する(ダイヤルアップ接続)というネットワーク利用の原始的段階でした。委員会メンバーには1日1回このサーバーにアクセスして情報の有無を確認することをルールにしました。メンバーの中には、『なんで、1日1回、松賀先生の家に電話しなくちゃいけないんだ?』と不満を漏らすメンバーもいましたが、それはもっともなことでした。
この当時の1998年6月の歯科専門誌『クイントエッセンス』誌に<歯科医師にとってのデジタル=コミュニケーション>として寄稿した原稿が残っています(こちら)。

(しかし、この私の自宅書斎からスタートした電子会議室システムは、その後様々な変遷を経て、およそ20年後の現在、県下の歯科医師会員<総数 3,100 人>の約1,400人が登録利用する大情報システムに育っています。20年前、関係者が夢想だにしなかった変化が起きたのでした。)

コンピュータ同士が繋がり合い連携するネットワークの時代が近づいていましたが、未だ、インターネットの大波が押し寄せる前夜の牧歌的な時代風景でした。

<回り道が多くて、なかなかタイトルに冠したテーマにたどり着きませんが、次回はいよいよ・・>

(おまけ)
 ところで、ここまで読んで頂いた方の中には、『このセンセ、こんなことばっかりして、本業は大丈夫だったの??』と心配になられた方もいるかもしれません。
いやいや、ご心配なく。本業の歯科分野でも、新しいチャレンジに取り組んで、頑張っていましたよ。時代に先駆けて、インプラント治療にも取り組み、数百の症例を持ち、国内の研究グループで研鑽も重ねました。欧州の学会にも参加してドイツの専門医資格も取得しました ( 当時の記録はこちら )し、日本の専門学会の認定医も取得しました( こちら)。そのための正確な診断には欠かせないと考え、10年以上前の2007年12月、頭部CT撮影装置も明石市で初めて導入しました(CTについてはこちら)。

これからの時代は、メタルに代わって審美的なセラミック修復が中心になる、と確信して、ドイツを中心とする先進的メーカー(シーメンスの子会社から出発したシロナ社)が開発したデジタル加工技術のシステム( CERECシステム)もいち早く導入しました。
<CEREC Style の審美的セラミック修復治療については、こちら

これらは全て、明石を含む東播地区でのトップランナーだったと思います。
CTデータはまさにデジタルデータの塊であり、その分析は高度なPC処理が必要です。新しい革新的なセラミック加工技術は、やはりデジタル&ネットワーク技術の高度な応用です。私のデジタル技術への興味は、本業にも十分活かせてきたと思います。

  

県歯科医師会付属の衛生士学校で、歯科におけるデジタル技術の活用について講義を行ったこともあります。( 当時の報告記事がこちら )

この間の詳しい状況は、私が苦心惨憺した手作りの旧ホームページにて報告しております。ご興味のある方は、松賀歯科の旧ホームページをご参照下さい。ただ、私が html という言語で自作したページは、今となっては非常に見づらく、殊にスマホ端末からでは、実用の域を外れてしまっているのも事実ですが・・・。

投稿者:

matsuga_senior

《松賀正考》大阪大学外国語学部英語学科、歯学部卒業。明石市で松賀歯科開業。現シニア院長。 兵庫県立大学大学院会計研究科卒業。同大大学院経済学研究科修士課程卒業、博士課程在学中。